このサイトについて


この生き100ウェブは、いろいろな人の「生き100リスト」を収集するウェブサイト。

生き100リストとは

生きている間にやりたい100のことを
書き連ね、リスト化したもの。

死ぬまでにやりたい100のことと、ほぼ同義。

バケットリスト(BUCKET LIST)とも呼ばれています。

生きている間に
やりたいこと
100個思いつく?

管理人のあさみが、いろいろ人に「あなたが生きている間にやりたいことを、何時間かかっても、何日かかっても、無理やり100個聞き出すまで終わらないインタビュー」を実施した記録を残していきます。

  • この活動はリストを完成させることそのものを目的としています。
  • その後の達成度はある意味どうでもいいというか、全く重視していません。
  • 本当に生きている間に100個のことができるのかどうかはどうでもいいし、別に何度書き換えてもいい。

わたしはこの活動を通して、「日常を楽しむことを諦めない大人」を増やしたいと思っています。
やりたいことを100個考える時間の中にこそ、明日も当たり前に続いていくかもしれない(し、いかないかもしれない)日常を豊かにするためのヒントが隠れていんじゃないか? というのが今のわたしの考えなので、達成なんてどうでもいいのです。

なぜ、こんなしつこいインタビューをするの? よけいなお世話では。

行動にこそ価値があり、考えるだけで終わりなんて無意味では。

ごもっともです……。
少し長くなりますが、わたしがこのウェブサイトに込めた想いを書かせてください。

Contents

会社を辞めようと決めた夜のこと

2019年の5月だったと思います。
当時3歳の娘の寝かしつけをした後、ふとんにもぐりこんだまま、わたしは泣いていました。

それは特別な夜ではなく、その頃は毎日泣いていたんです。

子供向けの教材を作る会社に勤めていたわたし。
終わっていない仕事が死ぬほどあります。
その日も帰宅後に、娘の口にパンをつっこんで、パソコンに向かったけれど終わらなかった。
ただ無心になって、手を動かせば終わることはわかっていました。
会社からのオーダー通りに企画を書けば終わるから。
ただ、そこに心の底から賛同しかねる以上、それは自分の心をじわじわと殺す時間でした。
会社としての方針の背景にあるものはもちろん理解はできるのだけど、それは作りたいものじゃない。読者に届けたいメッセージが見つからない。

会社の方針と折り合うように、頭をひねってきたつもりだったけれど、時間もかかるし精神も削られます。
自分が何のために働いているのかよくわからなくなっていきました。

そうしてわたしの手はキーボードの上で動かなくなっていき、動かなくなればなるほど仕事は終わらない。明日も終わるかわからない。でも締め切りはやってくる。
今思い返せば会社が悪いのではなく自分が未熟だったのだとわかるけれど、解決策もわからず目の前が真っ暗だった頃のことなので恨みっぽくなってしまうこと、お許しください。必要な転機だったのだと思います。

布団で泣いていたその日も、本当は、起き上がってまたパソコンに向かわなければいけなかった。だけど涙が出てどうしようもなくて、わたしはfecebookをただぐるぐるとスクロールするだけでした。

そして、ふと目にとまったのが、フォローしていたさとなおさんの書いたこの記事でした。

毎朝目覚めたら「今日が人生最後の日なのかな?」と問いかけながら、死の準備をするという話。

わたし、今日が人生最後の日なら、確実に後悔するな。
泣いてる場合じゃねんだわ。

そう思ったら、涙がぴたりと止まったのが本当に不思議でした。

そのまま検索窓に直感的に「シェアオフィス」と入力し、そうすると本当に不思議なことに、ここに毎日通えたらどんなに素敵だろうと思えるシェアオフィスに1席空きを見つけ、平日に無理やり休んで内覧に行き、その夜に夫に「会社を辞めて独立してここのシェアオフィスに入居するので保証人のサインください」といろいろ説明ぶっとばしたままお願いし、夫もまあいずれはと思っていただろうしそこまで驚かず「はいはいどこにサインすればいいのかね」と言ってサインをしてくれ、その数日後に上司に退職の意向を告げたのです。

これが、さとなおさんのnoteを読んでから1週間。7日程度あれば、神様は世界を作れるのだし、人生は動かせるものです。

わたしを突き動かしたのは、「なぜ、今日が人生最後の日ではないと、勝手に思い込んでいたんだろう」という大発見でした。

1年のうち数回の「特別なバケーション」ではなく、ただ連なっていく日常を楽しみたい

会社を辞める前は「この仕事を終わったら自分にご褒美を」と、ご褒美を楽しみに生きていました。
もちろんモチベーションとしてはすごく大事だと思います。

でも、会社を辞めて、自分自身でコントロールできる時間が増えて気づいたのは
特別なご褒美に費やす時間より、それ以外のただの日常の方が圧倒的に多いよね、という当たり前の事実でした。

ハレの日も好き。だけどなんでもないケの時間を愛しく思える人生ってなんだか豊かな気がしたんです。

おや?「日常」を犠牲にしとる大人、めちゃ多くないか? わたしもそうだがな。

「金持ちの家の猫になりたい」

「宝くじ当たれ」

みたいな非現実的な夢は思い浮かんでも、今日明日やりたいことがうかばない。

大好きなあそこのお店のパスタを食べる、とか、時間を気にせずドラマシリーズを一気見するとかそういうことでいいと思うのだけど、ふうむ。わたしも会社を辞めるまでは余裕なさすぎて、まったく思い浮かばなかったわな。そりゃいつまでたっても日常が楽しくならんはずやわ。

そんなことをもんもんと考えていたときに、友人がTwitterで「バケットリストを完成させたいなあ」とつぶやいていたのを見かけました。

それが、あのときのわたしを救った「今日が人生最後の日ならば」という考え方とつながって、
これを考えることで、日常を楽しくできるかもしれないなあと、ピンときたのです。

いやあ、SNSには人生の転機が、いくつも転がってるんですね。

なぜやりたいことを1つではなく100個も考えないといけないのか

やりたいことなんて1つ見つければいいじゃないと思うかもしれません。

でもわたしは「100個考える」ことに意味があると思いました。
いくつか理由があります。

  • たったひとつのやりたいことなんて、凡人のわたしにはとうてい見つけられそうにないこと
  • やりたいことひとつと言われると、大きなことを成し遂げないといけない気がすること
  • 100個も出していくと、そのうちに自分が意識していなかった、日常的でささやかな願望にたどりつけるんじゃないかと思ったこと

100個って、けっこう多いじゃないですか。100個リスト化するには、たぶん、どうでもいいくだらないやりたいことも書かないと、埋まらないです。

例えば、いつか見ようと思って見ていないスターウォーズのエピソード1〜3を見るとか。それはまあ、いいとして、もっとくだらないこと、例えば、ステラおばさんのクッキーを全種類ちゃんと食べ比べたいとか。

そういう、日常的なささやかな願望は、忙しい暮らしの中で、無視され続けていませんか?

心を無視することは、心を殺すことですから。
きっと無視しちゃいけないんです。ささいなことでも。

100個達成することが目的ではなく、100個のリストを作ることが目的なのは
そんな自分でも無自覚にどスルーしちゃっているささいな願望に気づくことが目的だからです。

この生き100リストをつくることは、忙しさに追われ、自分のことを考える暇がない大人の心を蘇らせる、復活の呪文になり得るんじゃないかと、わたしは信じています。

「死ぬ100」でなく「生き100」なのは

ところで、冒頭にも書きましたが、こういうのは「死ぬまでにやりたい100のこと」と表現されることが多いです。そういう名前でノートなども販売されているようですね。

英語の「バケットリスト」は“kick the bucket ”は、バケツを蹴っ飛ばす、という意味からきているとのこと。これは死ぬことをぞんさいに表現したイディオムみたいです(詳しくないがネットで調べた限りでは)。

みんな平等に訪れる「死」(リミット)を意識して暮らすことは、「小鳥さん」の話にも近いはずだし、わたしも最初はこのウェブサイトは「死ぬ100ウェブ」にしようと考えていました。

だけど、どうも、違和感がありました。
死を考えることを否定したいわけでも、タブー視したいわけでもないはずなのに。

死ぬ100リスト、死ぬ100ウェブと、心の中で何十回と呟きながらシャンプーをしていたとき、はたとその違和感のしっぽを掴んだ気がしました。

「死ぬまでにやりたいことは何?」って、何度も繰り返し心に問いかけたい言葉じゃないんだなって。

わたしは口癖の持つ力を知っています。
あえて「いいこと思いついた!」を口癖にして暮らすと、本当にいいこと思いつけるようになるんです、うそじゃないからやってみてください。あと「ま、いっか」を口癖にして暮らすと、いろいろ些細な事がどうでもよくなります(いいか悪いかは別だが完璧主義の人には大事な思考だと思う)。

そうやって口癖の力をかりて生きてきたので、「死ぬまでにやりたいこと」を感覚的に心に繰り返しといかけたくないのかもしれないと思いました。

子ども向けの原稿を書く仕事で気をつけていることの1つに、「打ち消し言葉を使わず、素直な言葉を使う」ということがあります。

例えば
「電気を消すと、見つからないね」ではなく「電気をつけると、見つかるね」
「勉強しないと落ちるよ」ではなく「勉強したら合格するよ」とか。

これは、めちゃくちゃリスペクトしている校正者さんに、教わったこと。
わたしが「〜〜〜じゃないね」という原稿を書いていたら、そこに「〜〜〜だね」でも同じ意味になります、と赤入れがありました。そして一言「声に出して読んでみてください。同じ意味でも感じ方が変わりますよ」と添えてありました。

「死ぬまでにやりたいこと」と「生きている間にやりたいこと」は、ほぼ同じ意味。
だけど、わたしが声に出したいのは「生きている間にやりたいこと」という言葉の方です。

「死ぬときに後悔しないために」ではなく「今日を楽しく生きるために」

それが、言葉の力を信じている自分の違和感のない表現です。

誰かの「生き100」をマネしよう

一人で100個もやりたいことを考えるのはめちゃくちゃ大変です。
それで、思いついたのがインタビュー。
ひとりでは考えきれなくても、誰か他の人の「やりたいこと」を聞いているうちに、それわたしもやりたい!ってものに気付けたり、それわたし興味ないのはなんでだろうと考えられたりするんじゃないかと。

もし、よければ、一緒に考えませんか?
生きているうちにやりたい100のこと。

ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。

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